
第十七回 良い文章を書くには(9) 「舞台設定について」
第十七回 良い文章を書くには(9) 「舞台設定について」
ダイナミック・アークでは主にSFやライトノベルの作品を扱っています。文学の世界では、今はかなり崩れかけてはいるもののヒエラルキーがあり、最上を純文学と位置づけて、中間小説、大衆文学などと順番があります。SFやライトノベルはどの位置にあるかといいますと、実はよくわかりません。優れたSF小説は純文学に匹敵する作品もないではありませんから。先鋭的な純文学作家がSFやライトノベルを書いている例だってあります。要は内容と文章力です。
一般にSF、ライトノベルというと広い意味でのファンタジー作品と思われがちです。剣と魔法のファンタジーではなく、少々現実離れをした世界が舞台になっている物語です。新人賞に応募された作品も多くはそういう傾向の作品が多い。異世界とまでなってなくても、もうひとつの現代が舞台など、とにかく2010年の私たちが暮らしいている現代ではない〝どこか〟なのです。
第一回の新人賞の選考会の際にも、選考委員の先生方が指摘されていたように「必然性のない舞台設定は無駄」なのです。異世界を舞台にするためには、物語にその異世界でなければならない必然性がなければなりません。現代日本風なのに「軍部の秘密」を民間人が暴く状況があったりしました。現代日本には「軍部」なんてありません。「自衛隊の秘密」だったら物語は成立しませんか? 「企業の秘密」だったら破綻しますか? そうでないなら「軍部」なんて設定しない方がいいのです。
現実離れした世界、つまり他の惑星だったり、他の時代だったり、他の地域だったり、異なった歴史だったりするならば、作者は読者にその異世界の説明をしなければなりません。物語の進行上、必然性がなくそういう設定をしているならば、それは単にご都合主義です。作者は創作物の中では神ですから、登場人物を生かすも殺すも自由自在です。ところが、創作上で唯一、神の立場を取れないのは、読者との関係においてなんです。
作者にとって読者は〝お客さん〟です。読んでくれる人のいない作品をいくら創って「私は神だ」と威張ってみても、国民が一人もいない国の王様のようなものです。お客さんである読者が楽しんでくれてはじめて作品が生きてくるのです。
ですから、小説の冒頭から設定のわからない、読者に理解できない書き出しだと、もう読んでもらえません。作者は親切に、丁寧に、わかりやすく物語をはじめなければいけません。どれほど親切でも親切すぎるということはありません。
そういう意味では設定を説明しなくてはならない作品は遠回りをしていると考えられます。異世界の設定は作者と読者の約束事です。しかも作者からの一方的な。その約束事が納得できない読者からはそっぽを向かれる危険性を孕んだ約束事なのです。
なので、物語の進行上どうしても必要のない設定ならば特別な設定はしない方がいいのです。
SFやライトノベルだからといって、異世界が舞台である必要はありません。今、私たちが生きている現代を舞台にしても物語は創れます。
余分な説明は読者にとっても余計な理解を強いることになり、物語の流れも寸断される可能性もあります。
物語が進行する舞台。今一度、見直してみましょう。




