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第十三回 良い文章を書くには(6)
第十三回 良い文章を書くには(6)
リズムのある文章と、リズムのない文章があるわけです。リズムのない文章の典型は裁判所の判決文などがあります。
控訴人は、本件コマ絵が本件連載漫画のストーリーを表しているか否かを全く検討することなく、単に本件連載漫画の一部であることのみを理由としてこれに原著作者の権利が及ぶとした原判決の判断は誤りである旨主張する。しかしながら、二次的作物の著作者が、当該二次的著作物の利用に関して当該二次的著作物の著作者の有するものと同一の種類の権利を有することは、著作権法二八条が明確に規定するところである(二次的著作物には、原著作物の創作性を引き継ぐ部分と二次的著作物の著作者の独自の創作性のみ発揮されている部分との双方が渾然として存在するから、これらをいちいち区別して論じなければならないとなると、原著作物の著作権者の権利の範囲はいたずらに不明確となって、権利関係の安定を欠くことになる。そこで、著作権法は、上記のように定め、原著作物の著作権者は結果的に二次的著作物の著作権者が持つ権利と同じ権利を有することにして、これを解決したものと解される)。
これは「脱ゴーマニズム宣言事件」の判決文に書かれた文章です。なんといっているか、何度か読み返さないと意味がわかりません。小説の文章ではありませんから、裁判官はこの文章で読む人に解釈の余地がないように書かなければなりませんから、こんな書き方になってしまうのです。
一方、リズムのある文章の典型はこんな感じです。
ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドコドンドンとドンタカタを生む。(「バブリング創世記」筒井康隆著 徳間文庫 1982年)
どうですか。リズムがあるでしょう? しかし、これは少々特殊な例です。では別の例をあげてみましょう。
その日は朝おきた時から、なにかが起こりそうな感じがしていた。どんなふうな感じかと聞かれても、ぼく困ってしまうんだな。(「ブニンコのむこうで」星新一著 新潮文庫 1971年)
以前にも書きましたように文章を声に出して読んでみると、リズムがあるかどうかわかりやすいと思います。
また、もどこに打つか重要です。この講座の中でも、の打ち方について書いたことがあります。その時は最低限文章が間違って伝わらないように、を打って下さいといいました。けれども今回の、はリズムのための、です。
あまり多く、を打つと文章が切れ切れになってしまいます。少なすぎると息がつまります。どんなタイミングで、を打つのかは著者それぞれです。文意が変わらないよう注意して、を打たなければなりません。
同じように、漢字にするのかしないのか。先ほどの星新一の文章でもそうです。
その日は朝おきた時から、なにかが起こりそうな感じがしていた。
これを全部漢字にしますとこうなります。
その日は朝起きた時から、何かが起こりそうな感じがしていた。
少し感じがちがいませんか。漢字を平仮名にすることを「ひらく」といいます。
わたしは意識して「いう」はヒラくようにしています。また「はじまる」もヒラいています。このようなエッセイとも講義ともつかないときは頻繁にありませんけれど、「いう」は小説中には数多く登場します。そのたびに「言った」「言う」と書いているとなんだか全編「言った」ばかりになるような気がしてヒラくようにしています。
現代は多くの人がワープロソフトなどで文章を作成していると思います。変換キーを押すだけで自分が覚えていない漢字も候補にあげてくれます。つまり、漢字が多い文章になりがちです。漢字の多い文章は見た目で拒否反応を起こす人もいます。またあまり平仮名が多いと読みづらくなります。
日本語は漢字、平仮名、カタカナ、またアルファベットなどを駆使して書きます。これらをバランスよく配置することも文章のリズムに関係してきます。
自分の文章にリズムがあるかないかは、なかなかわかりにくいと思います。
そのためには、やはり声に出して読んでみるしかないでしょう。
(文責:幸森軍也)




