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小説を書いてみよう

第八回 良い文章を書くには(1)

第八回 良い文章を書くには(1)


 第一回ダイナミックアーク新人賞選考会の席上で、審査員の先生方の各作品に対する第一声は「文章が書けている」「書けていない」でした。
 小説は文章が書けていないと、文字通りお話になりません。


 筆者の文章がよいか否かは別として、読んでいて最低限の意味は通じているだろうと思っています。意味が通じない文章は、書いても仕方ありませんから。
 以前の「文章を書くときのルール」と重なっているところもあるでしょうけれど、今月から数回に亘って「良い文章を書くには」講座を連載していきます。ただし、これを読んだからといって、名文が書けるようになるわけではありません。最低限の文章の書き方です。


 では、良い文章を書くにはどうすればいいでしょうか。
 実は簡単な方法があります。というか、方法はこれしかありません。


 読むこと、です。
 読むことには二つの意味があります。
 第一の意味は、名文を読むこと。小説家を志す人はたくさんの本を読んでいることと思います。その中でもジャンルを偏らせないで、いろんなジャンルのさまざまな作家の作品を読んで下さい。とにかく最初は濫読しましょう。そのうち、自分にとって心地よい文章、うまいと思える文章に出会えるはずです。その時、その作家の文章がなぜうまいのか、心地よいのか考えて下さい。
 古今東西、名文家と言われる作家はたくさんいます。けれども、明治・大正時代の名文と現代のそれは質も内容もちがいます。わたしたちは現代に生き、現代を表現する作品を創りあげていくわけですから、できるだけ現代の名文を読むように心がけたいものです。
 てっとり早い方法は『文章読本』を読んでみる。『文章読本』というタイトルの本は異なった著者で何種類か出版されています。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、丸谷才一、井上ひさし……。全部の『文章読本』を読まなくてもいいと思います。けれども、書店で立ち読みしてみて気になった作家の『文章読本』を手に取ってみて下さい。もちろんどの本もそれぞれ素晴らしい内容ですから、あらゆる『文章読本』を読むのもいいでしょう。
 いろいろ読んだけど、どの作家の文章が良いのかよくわからない……という人もいるかもしれません。そういう人は友人や先輩に、どの作家の文章が良いと思うか訊いてみるのもいいでしょう。そして、教えてくれた人と良い文章について議論するのも楽しいかもしれませんね。


 読むことの第二の意味。それは自分の書いた文章を読むこと。
 これが、文章を書く上で最も大切なことです。何度でも何度でも自分の書いた文章を読み返して下さい。覚えるくらいに。
 自分の文章を読み返すうちに少なくても誤字、脱字はなくなります。もし誤字脱字があったとしたら、読みが足りないのです。
 自分の文章を読み返して、文章を練ることを推敲といいます。
 推敲は中国の故事に由来しています。



 唐代のことです。賈島(かとう)がロバに乗って科挙の試験を受けるため長安に向かっている途中、詩作にふけっていました。


 僧敲月下門(僧はたたく月下の門)


 という詩の一片を思いつきました。ところがやがて別の一片を考えだします。


 僧推月下門(僧はおす月下の門)


「たたく」にするか「おす」にするか考えていると、ある行列にぶつかってしまいました。
 衛士が賈島の無礼を責めました。賈島は非礼を詫びながら、事情を説明しました。実はその行列の主は大詩人の韓愈だったのです。韓愈は「それは敲の字がいいだろう」といい、その後は二人は並んで詩については語り合いました。



 こうして「詩文の字句を考えて練ること」を推敲というようになったのです。
 読むということは、鑑賞するということです。賈島の「僧敲月下門」「僧推月下門」ではなぜ「たたく」がよいのかというと、詩の書かれている状況をイメージするとわかりやすいでしょう。
 夜、あたりは静まりかえっています。ひとりの僧が月明かりの中、友人宅を訪問します。門をトントンと叩いて来訪を告げる、というものです。ぎぃ~と押して中に入っていくよりも、静かな状況で戸を叩く音の方が、イメージがきれいではありませんか?


 唐の時代ですから行列にぶつかっても無礼と責められる程度で済みましたけれど、現代では状況がちがいます。車の運転中に推敲していてぶつかると大変なことになります。推敲は移動中ではなく、机の上で行って下さい。


(担当:幸森軍也)


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