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新人賞投票

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 2009年12月25日(金)13時 ~ 2010年1月25日(月)13時
【投票方法】
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ジャングル・ジグ

(ヒトってぇのは、どれくらい水分を損失しても動けるんだったけか?)
 そんなことを考えていたのもかなり前のことではなかっただろうか。どのくらい前か、という時間軸の間隔尺度については判然としない。それどころか思考は壊死し始めていた。
 どこに向かって歩いているのか? その目的さえも今は希薄になっている。
「あぢぃ……」なんて言葉を漏らすことが可能だった頃の記憶さえも今では曖昧だった。
 右手から明るさが拡がり、すでに周囲の大部分は朝に包まれている。よぉ、と気さくに太陽が顔を出すのもそう遠い先のことではない。
 この地域では陽が昇ってからの活動は身体への負担が大きい。フードとコートで全身を覆っているとはいえ、直射光はそれらを透過して全身を灼く勢いで襲いかかってくる。暑さで体力の消耗も著しい。出来るだけ早く影を造り、休息する準備を整えるべきだった。
 だが、今休めば動けなくなる、と本能がそれを妨げる。
 そもそも休むと言っても、眠ることしか出来ることはなかった。
 食料どころか、水さえも既に無い。
 彼の視線は足元の映像を捉えている。大小様々な石、石、石……、たまに岩。無意識に顔を上げれば、岩石砂漠から礫砂漠への変移の過程。しかし、網膜の視細胞から脳へと送られる電気信号は伝達の過程で急激に減衰していき、脳で再構成された映像からはなにも読み取れそうにもない。
 上げた顔を支えるだけのエネルギィの確保さえままならず、すぐに視線は下へと戻った。辛うじて、足だけが規則的に交互に動いている。しかし、その動きは砂砂漠にいるわけでもないのに、鉄鎖でも引きずっているみたいにぎこちなかった。背負っている荷物は普段はさして重いと感じることはなかったのに、今は山でも背負っているように身体に負荷をかけている。
 機械のように一定のリズムで動く足は、一度停止すれば再び動き出すことは無さそうだった。ヒトでも物でも、動き出す瞬間にもっとも大きな力が必要になる。
 停止=死。それだけは理解できた。
 意識もせずに動かしていたはずの足が、意識の消失を防いでいる。
 じりっ、と音がした。顔を出した朝日が周囲を灼き始めたのか、踏みつけた石の鳴る音か、判別は付かない。
 視界の端で何かが光った。
 彼はゆっくりと視線を朝日とは反対側へと移動させる。ずっと遠くにはこちらへの雲の侵入を妨げている高い山の連なり。そのはるか手前で崩壊しかけている小さな丘の連なりの隙間で、何かが光をはね返していた。
(………………朝露?)
 久しぶりに思考が動き始める。
 彼は目を凝らした。撥水素材の表面に落ちた水滴みたいな扁平なヘミスフィアは一つではないようだ。少なくとも三つ。朝日を反射していなければ気付かなかったかも知れない。
(…………蜃気楼?)
 これまでも何度も見かけた幻覚の可能性を検討する。
 だが、結論が出るよりも早く、足は進む方向を変えていた。少しずつ、足の動きは速度を増していく。
 朝露は近づくごとに大きくなり、数を増していく。
 手を伸ばした先の拳程にそれらが大きくなり始めた頃、彼はようやくそれらが特定の波長の光を反射していることに気付いた。530nm前後。色で言えば、翠。
(……植物?) 
 周囲数十キロメートルの範囲内に水源はないはずだ。だが、植物があれば、水がある。
(オアシス、か)
 彼は無意識に匂いを嗅いでいた。しかし、水の匂いはしない。
 稜線が見上げるほどの高さになった頃には、翠色の水滴は数えることが困難なほどに増えていた。相同の巨大半球の群は、一カ所に産み付けられた昆虫や魚の卵みたいに異様な光景だ。
(なんだこりゃ……?)
 彼はようやく足を止めた。
 ドームの高さは何十m、あるいはもっとずっと高いかもしれない。扁球を短半径方向で半分に分割した形状なので、裾野の半径はそれよりもはるかに長い。天辺から地上三mくらいまでは、中の様子が観察できた。
 森があった。
 小さなものではない。ドーム一杯に拡がる森林は、植生遷移も終盤に近い密林といっていいほどのものだ。少なくともここから見えるドームはどれも同じような状態らしい。眠っているように静かな翠の半扁球は、まるで箱庭みたいだった。
 誰がこんな物を? あるいは、目的はなんだ? といった疑問は無かった。そんなものは一目瞭然だ。
(いつの間にこれだけのものを…………)
 彼は一瞬だけ、このことについて考えるべきだ、と思った。しかし、その思考はすぐに彼の脳からはじき出される。彼の頭蓋の中を駆けめぐった電気信号が造り出した意志は、一つ。
(水)
 生への欲求は、止まった足を動かすのに充分なポテンシャルエネルギィを持っていた。

       *

 からからから……、と音がしている。
 ロザリンドは椅子に腰かけたまま、手に持ったモノを保持しつつ顔を上げた。
 寝転がれば寝返りうち放題のだだっ広いデスクデスクの上に置かれたかごの中で回し車を回している奇妙なモノがいる。
(これは、ハムスタ。一番最初のだ)
 その隣では上面の無い立方体が傾き、倒れ、中から小さなモノが転がり溢れる。仰向けのまま起き上がれないでいる茶色いのは……、
(えーと、イヌ……だったはず)
 彼女は視線を落とす。合わさった腿の上では、小さな毛玉が丸まっていた。
(これは……、ネコ……、にしたんたんだっけ?)
「ふぅ」彼女はため息を付いて、今度は少しだけ視線を上げる。右手にはΩ型のパーツと円筒を組み合わせた自作の授液器。そのΩを懸命に咥えている小さなモノが、左手の中でぷるぷるぷる、と震えている。
(今度はなんて名前にしよう?)
 既に決まっている膨大な数の名前あるいは学名を覚える、という作業は彼女にとっては何の苦もない。しかし、体系から外れたものに命名する、ということは意外に難しかった。彼女は体勢を維持しながら、正面を見つめた。
 翠の密度が高い。
 その手前に造った柵で囲われた草むらから長いパーツが二本だけ伸びている。周囲を探索しているのか、小刻みに向きが変化していた。
(これは、えっと……、ウサギ、にしたよね?)
 毛のあまり生えていない淡いピンクの肌を持つ寸胴が、走り出そうとして短い足が絡まり転んだ。
(ブタね。なんでこの子は歩くの下手なんだろう? 重心低いのに)
 そのずっと向こうでは顔や首が長くて、細っこい足をした綺麗なラインをしたモノが楽しそうに駆けている。
(そうそう、コレはウマ)
 彼女は再び手元に視線を戻した。いつの間にか、授液器は空になっている。それでも、ソレは口をΩ部分から離そうとしない。
 さて、どうしたものだろうか、とロザリンドは再び顔を上げた。
 正面の翠は、モザイク状の壁となって立ちはだかっている。ずっと上の方まで視線を上げないと空は見えない。横方向にも首を左右にほぼ直角に動かさないと、翠と淡い青の境界は確認できなかった。
 そんな外の様子は見えてはいるが、実際には彼女とそれらの間には、ほぼ完全に透明な壁が存在していた。透明な壁に囲まれた事務所兼研究室兼居住棟。巨大なドームの辺縁にぽつんと置かれた建物に彼女は居る。
 植物達の育成に必要な光は全て透過させ、それ以外の全波長を起電力に用いる選択透過型太陽電池モジュールに覆われた、長半径が数キロにも及ぶドーム群の一つ。植物創造実験ドームの中は、言葉のとおり、様々な植物がみっちりと詰まっていた。
 これらのドーム群の外には一面の砂漠が拡がっている。もし、上空から見ることが適うならば、撥水性の茶色の布に雨が降ったように見えるかもしれない。そこまで考えて、ロザリンドは苦笑する。もっと詩的な比喩が使えないものか、と。そういった類の創造性は、自分の設計思想の中に組み込まれていないのだろう。
 この密閉空間では、砂漠化する以前にこの地域に生存していたと思われる全植物種を再生するプロジェクトが進行していた。昔、何らかの要因で気象変動があって、多くの生物種が失われたが、その遺伝子配列の全記録が残されていた。その配列から植物を再生し、少しずつ元あったような世界を再構築しよう、という試みだ。一〇〇年以上も前に計画はスタートしたが、その歩みは植物相が遷移していくのに合わせたゆっくりとしたものだ。
 もちろん、ドームは一つではなく、何百と点在している。そのうちの一つである、このドーム内の植物の再生、育成、管理などが彼女の仕事だった。このドームの管理人としては、三代目となる。最近、前任者から引き継いだばかりの仕事だったが、継承は完全に行われたので戸惑うことは何もない。
 計画のごく初期に造られたこの施設の中で、毎日の生活はほぼ完結していた。単調な日常の繰り返しだが、ロザリンドは苦に感じたことは無い。この仕事のために自分は産み出されたのだろう。
 ここに配属されて間もない頃、ちょうど今から一年ほど前だろうか。いつものように迎えたある朝、起き上がった拍子に頭の中に奇妙な遺伝子配列が浮かんでいることに気付いた。
 記録の残されている植物を再生するために、毎日のようにその遺伝子配列をシークエンスしていたが、頭の中に浮かび上がったその配列は明らかに系統が異なっている。なぜ、このようなものが唐突に浮かんできたのか解らず、その日はそれを放置した。
 ところが翌朝、寝起きにまた別の配列が記憶野に刻まれていることに気付いた。これまでのデータベースに類似のものはなく、前日、浮かんだ配列に比較的近いものだった。
 同じような現象が一週間続いた頃には、自分の頭が壊れてしまったのかとも思ったが、なぜだか、それら造ってみよう、と思った。頭の中で誰かがそう囁き、唆した。
 材料や機材は十分にあったので、仕事の合間に合成し、核酸やアミノ酸などを入れた溶液に投入してみた。なんとなく、そうすればいいような気がしていた。植物の場合は、塩基をつなぎ合わせ遺伝子を造り出し、別に合成した細胞質や細胞壁に封印してやりさえすれば、手に乗る程度の培養瓶で簡単に増殖・培養することができたが、閃いた生物達のためには一抱えもあるような大きな培養槽が必要だった。とくにウマになると、自分がギリギリ入れるくらいの培養槽を自作しなくてはならず、そのために多くの時間がかかった。
 それから、数ヶ月。
 その中には、奇妙なモノが成長していた。
 頭部、胴部、四肢、それらは植物や微生物、あるいは昆虫とは異なり、人間に類似した形態に見えた。唯一、明らかに異なる点といえば、お尻の部分から第五の肢が生えていることだろう。しかし、ロザリンドはなぜかそれらがおぞましいモノには見えず、溶液の中に揺蕩う様がとても愛おしかった。
 やがて、順調に成長したそれらを容器の中から出してやると、勝手に動き始めた。
 たぶん、新しい生物なのだろう。
 これまでの生物史に無かった新たな生物をいとも簡単に産み出してしまった、という高揚感は全くと言っていいほど彼女の中には無かった。かといって、本来は神の御手による生物創造を、人類たる自分が行ってしまった、という畏怖も無かった。ただただ、その生物たちが愛おしかった。
 少しずつ増えてきたそれらは一体何を摂取するのか、という疑問が浮かんだが、すぐにそれらは解決した。たぶん、これらを与えれば問題ない、となぜか解った。
 腿から伝わってくる感触に視線を落とすと、モノトーンのネコが大きく伸びをしていた。指まで伸ばしきった手足の裏が見える。そこにあるぷにぷにとしたパーツは触ってみると気持ちいい。
 耳の垂れたイヌはまだ起き上がれずにジタバタとしていた。目は開いているが、まだ見えないのだろうか。
「もう空だよ」と呟きながら、ロザリンドが指で軽く頭を撫でると、まだ名前のないソレはようやくΩを解放した。クッションを敷いた小さな箱の中に戻し、布を掛けてやると活動を休止したように大人しくなる。
 ロザリンドはデスクの上にネコを置き、イヌを起き上がらせた。
 ネコはデスクの縁から下を覗き込みながら、なにやら逡巡している様子だ。
 そういえば、それらの名前も不意に浮かんできたような気がする。
 いろいろと不思議で非現実的なことばかりだったが、それらを眺めていると、どれも些細なことに思えてしまう。
 ロザリンドは微笑ましい光景をもう一度眺めてから、デスクの上の空間に複数のディスプレイを展開させて仕事を再会した。
 人工的に製造された風が草木を揺らしていく。
 ドームの内壁で結露していた水滴が晴天に雨のように舞う。
 互いに交信しているような草木のざわめき。
 光と影が揺れる。
 助けて、に近いと分析できるか弱い声があがり、ロザリンドは早くも作業を中断して、ディスプレイから目を離した。
 よたよたとしているイヌに、少し早く生まれたネコがちょっかいをかけていた。
「こらこら」ロザリンドはそう言って、小箱の家を立て直し、その中にイヌを入れた。
 ネコが精一杯背伸びして中を覗き込もうとしているが、前足が縁まで届いていない。
 くすくすくす、とロザリンドは笑う。
 素敵な毎日だ、と実感できた。
 これまでの日常がいかにも見窄らしく、つまらないものだったことか。
「うふふ……」それらを見ていると自然と笑みが溢れてきた。

       *

「よう、ロザ」
 ロザリンドはリニアスクータに抱えていた荷物を積み込んでから、声が聞こえた方を振り返った。予想どおり、よく知った顔だがあまり相手にしたくない男だった。「なんだ、モーリスか」
「なんだ、はないだろう」彼女より少し背の高い男が、不満そうに口の端を上げる。彼女と同じようにドームの管理人ではあるが、彼の方が少しだけ先輩だ。
 彼も荷物を持っている。どうやら彼女同様、このセンタドームに消耗品の補充に来たらしい。その手に下げた容器のラベルを一瞥して、ロザリンドは顔を顰めた。「あんた、それ、殺虫剤でしょ? 止めときなって。天敵導入して、駆除した方がいいよ。短期間で解決した方が、楽だしスッキリするけど、極端な変化は必ずしっぺ返しくらうよ」
「大丈夫だって、そんな馬鹿なミスはしないさ」彼はそう言って、箱をバンと手で叩いた。「それより、お前、何かやらかしたか? 最近、お前の業務効率が低下している、ってチーフが愚痴ってたぞ」
「チーフが?」彼女は彼を睨んだ。「なんで、チーフがあんたにそんなことを言う必要があるわけ?」
「さあね、知らんよ」彼は視線を逸らす。
 ロザリンドは舌打ちした。
 彼はいつもそうだった。どこかから情報を盗んでいる。ここのセキュリティにも問題はあるだろうが、そうしようという意志が無ければ、そのような事態は滅多に起こらない。彼の評判は同僚達の間では良くはなかった。
 彼女は彼に背を向けて、積み込んだ荷物の固定作業を再開した。「他に用がないんなら、もういい?」
「そうつれないこと言うなって」彼は肩を竦めた。
「暇じゃないんで。じゃ」ロザリンドはスクータに跨るとインジェクションボタンを押した。すっと浮遊する感覚があった。
「おまえさ、変な生物造ってないか?」彼の言葉は、アクセルを回しかけた彼女の動作を止めた。
 ロザリンドは振り返り、呆れているように見える表情を作って、彼を睨み付けた。「そんな無責任な噂、いっつもどこから仕入れてくるわけ?」
「なに、お前さんのドームの付近で人間にも機械にも出せそうもないような声が聞こえたとか、ドームの半透過帯に奇妙な動くシルエットを見たとか、そんなことを小耳に挟んでな」彼はにやりと笑った。
 背中の辺りをムシが駆け抜けたような気持ち悪い感覚に襲われ、ロザリンドは小さく身震いした。「変なこという連中がいたものね」出来るだけ平然とそう言って、ゆっくりと車体をスタートとさせた。
 景色が動き始める。
 そのまま自分の管理するドームに向かってハンドルを切った。幸い彼の管理するドームは、このセンタドームからだと反対の方角になる。彼の表情が見えない替わりに、彼に表情を見られる心配もなかった。出来れば彼とは会話したくない。彼と話をすると決まって嫌な思いをさせられてばかりだ。
 スクータが一〇台くらい並列できそうな幅の広い通路は、ドームと同様のモジュールで周囲が覆われている。その透明な壁を通して、地平線にうっすらと山脈が見えていた。しかし、そこまでは起伏の少ない砂礫か、ドーム群しか見えない。認識できる空間が広く、比較できる建築物が巨大なドームしかないせいで、スクータは歩いているのと大差ないスピードしか出ていないように感じられた。実際、抵抗となる空気が存在しなければ、走っていることさえ気付かないかもしれない。
 同じような景色に飽き始めた頃、ようやく自分のドームに続く脇道へ、と折れた。正面にドームの壁が見える。外壁は地面から三mくらいまでが乳白色になっているが、それ以外の大部分は透明で、森となった植物相の翠が誇らしい。
「ちっ」ロザリンドは入り口の前でスクータを止めると、舌打ちした。
 確かにドームの下部調光壁は白く不透明だったが、内側のものが壁際まで近づけば、うっすらと動く影は見えそうだった
「もっと、透過度を下げておくべきだったか」小さく言葉が漏れた。降ろした荷物を持って外壁の前に立つと壁が割れ、小部屋が現れる。入り口を潜る際、なんとなく気になって周囲を観察したが、追っ手はない。安堵のため息をつきながら、セキュリティを解除して小部屋に入る。
 紫外光とエアシャワーが襲いかかってきた。このドームに生息していないムシや微生物は極力入れない方がよい。場合によっては、短期間でバランスが崩れる可能性もある。しかし、あまりにも過剰になると、外的ストレスに全く耐性のない生態系となってしまう。数百年先を見据えて、適度に刺激を与えていかなければいけない。その辺りのバランスを取るのも、管理人の重大な責任の一つだ。
 充分に消毒を行ってから、もう一度の扉を潜る。
 空気が変わった。
 単体の植物が周囲に及ぼす影響なんてものはたかがしれているが、これだけ密集すれば空気の質自体を変えてしまうことが出来る。
 ロザリンドは事務室に向かってレンガ敷きの短い小道を歩いた。前任者が敷いたものらしいが、個々のレンガ周辺部はすっかりコケに侵食されていた。いずれ赤褐色も完全に翠に変色してしまうのかもしれない。
 事務室の扉を潜るとシワセセイブツ達が出迎えてくれた。
「ただいま」出した声と共に今まで溜まっていたマイナスの感情が全て排出され、分解されていくようだった。彼女は、知らないうちに自分がそれらに微笑んでいることに気付いて驚き、「悪くないよね。こんな生活も」と苦笑した。
 一度、隣の実験室に荷物を置くと、ロザリンドはそれらにエネルギィを補充してやるために、ストックを漁った。すると彼らは一斉に声をあげ、ネコに至ってはどうやったのかはわからないが、デスクから降りて、彼女の足元に猛烈にすり寄っていた。嬉しいような、困ったような複雑なバランスだけど、やっぱり顔がにやけてしまう。「はいはい、焦らない。みんなの分はちゃんとあるから」
 ロザリンドは小さな鳴き声を上げる生物達に与える物の調整を始めた。それぞれに配合が異なる。必要とされる成分に違いがあることと、消化・吸収するためのメカニズムがどういうわけか共通でないことに起因していた。なぜ、そんな風な設計にしてしまったのか、と自分でも不思議なのだが、そういうイメージしか湧いてこなかったのだから仕方がない。
「まあ、いろいろいた方がおもしろいんだけどね」まだ名前の無い新参者に液状飼料を与えながら呟いた。
 既に食事を終えたイヌが重たそうに膨れたお腹で、うつらうつらとしている。
 ネコが足元で順番を急かす。
 それにしても非効率的だな、とロザリンドは満足そうなソレらを見下ろし、今度はネコに液体飼料を与え始めた。
 一日に複数回、少なくても五回くらいは与えなくてはいけない。エネルギィを溜める消化器系の容量が小さいことに起因するようだ。しかし、食べた分だけ体積が増える。その増加を計測し、プロットすれば成長曲線は対数関数で導かれるはずなのに、今のところ一次曲線しか描けそうになかった。
 ネコが終わると今度は大きめの飼料容器を持って、事務室の外に出た。ウマが駆け寄って来て、頬をすり寄せる。口に容器をあてがうと、喉を鳴らしながらそれを飲み込んだ。
「まったく、変な生き物、造っちゃったなぁ」長い首筋を撫でながら呟いた。
 視界の端で器用に稼動する長くて白い耳が忙しなく動いているのが見える。二番目に造ったウサギは、最近、草を食むようになった。どうやら、一部の昆虫と同じように、幼体と成体では食性が変化するようだ。しかし、彼らのように変態するわけではないので、その切り替えのポイントはわかりにくい。
 そういえば、元気が無くなっているような気がする。ひょっとして、必要とされる養分が不足しているのか、或いはもう寿命なのか、それともそれ以外のなにか不都合が起こっているのかわからない。なにしろ未知の生物だ。まだまだ判らないことが多い。
「それにしても、どうしようか。こいつら……」
 造っている最中は夢中だった。
 そして、いつの間にか、数が増えていた。
 気付けばそれらの世話だけで手一杯になっている。
 植物だってもちろん手間はかかるが、これほどではない。おかげで仕事の効率は、支えを失った蔓植物みたいにガクンと落ちた。植生管理の仕事自体は業務量としてはたいしたことはない。問題は、まだ復元が終わっていない植物の創生、特性の調査、現環境に与える影響評価、といった本来行うべき仕事が滞りがちだという点だ。モーリスの指摘するとおりだという点は、悔しいが認めないといけないだろう。
「だからって、誰かに任せるわけにも……」周囲で奔放に動き回るソレらを見つめる。このように動き回れる生物は昆虫以外には存在しない。ロザリンドにとっては可愛くて仕方がないそれらの生物も、他の連中には不気味な存在にしか見えないだろうことは、想像するに難くない。
 ソレらは、それほど歪な存在だった。
(どうすればいい?)
 ロザリンドは自問する。
 もちろん答えなど返ってくるはずもない。
 腰の辺りに感触があって我に帰ると、ウマが首をなすり付けていた。
「どうしたの?」ロザリンドは微笑んでみせる。
 ウマは顔を擦りつけるのを止め、顔の両脇に離れたくりくりとした目で彼女をじっと見つめる。あなたこそ、どうしたの? と言いた気に。
「そんなに不安な顔をするなって」彼女はその子の首を優しく抱いた。「大丈夫、あなたたちは私が守るから……」

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